難民の命を救う言語のエキスパート
紛争や民族・宗教対立などから自分や家族の命を守るために母国を脱出、あるいは追われて国境を越える難民が、後を絶ちません。シリア国民やロヒンギャ族を筆頭に、その数はここ数年で急激に増加し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の発表によると、2016年には過去最多の6560万人に上りました。
このようにたくさんの人が国境を越えると、移動先で、ある問題が起こります。受け入れ側との事務手続きはもちろん、医療処置や職業訓練を施す上で、言葉が障害となる可能性があるのです。難民のコミュニケーションをサポートする言語のエキスパートが、これまで以上に必要とされています。
難民の言語は多種多様
なぜ言語のエキスパートが必要か。それは、難民が多様な言語話者から構成されている集団だからです。UNHCRの統計によれば、全難民の55%がシリア、アフガニスタン、南スーダンの3カ国で占められていますが、サハラ以南のアフリカの国々からの難民も増加しています。言語は多種多様であり、中には母国語以外を理解できない人も多いのです。シリアからのアラビア語話者は教育水準が高く、ある程度は英語も理解できますが、ペルシア語やダリー語(アフガン・ペルシア語)の話者には、英語がわからない人が多数います。
人道支援を行う組織だけで多様な言語に対応することは難しく、そのため非営利団体「国境なき翻訳者団(Translators Without Borders: TWS)」が創設されました。国境なき医師団(MSF)の姉妹組織であるTWSは、世界各地の難民キャンプなどで援助組織や人道支援団体と難民との間をつなぐ多言語翻訳を無償で行い、ハイチやフィリピンでの自然災害時にも、英語から現地語への翻訳を行うなど、幅広い活動を展開しています。TWSが要請を受けている言語には、クルド語、ウルドゥー語(パキスタンの国語)、パシュトー語(アフガニスタンの公用語)、ティグリニア語(エチオピアの公用語の1つ)、フランス語などがあり、所属するボランティア翻訳者が、さまざまな言語を母国語とする難民のコミュニケーションを助けています。
人道支援における言語サポートの4つの特異性
TWSの広報マネージャーのラリ・フォスター氏によると、難民の言語サポートには4つの特異性があるとしています。
- 難民が多様な言語集団からなること
- 受け入れ側にも言語上のサポートが必要なこと
- 情報の伝達が困難であること(難民の動きが流動的であるため、必要な情報を繰り返し伝達しなければならない)
- 難民側に絶えず更新される情報を伝達するのが必要なこと
TWSが抱える困難な課題の1つに、通訳や翻訳のサポートを行う際の地元コミュニティとのコミュニケーションがあります。支援者や国際ボランティアが地元の言語と難民側の言語の両方を話せないという事態に陥ってしまうと、コミュニケーションの障害が壁となって、受け入れ側の善意が難民に伝わらず、双方の緊張を高めてしまうことがあるのです。また、難民キャンプや災害現場などの危機的な状況下で人々の命や安全を確保するためには、情報伝達の間違いや遅れは致命傷となりかねません。この課題を解決するには、受け入れ側も言語によるコミュニケーションの重要性を理解し、サポートできる体制を整える必要があります。
翻訳は人を救う仕事
テレビやインターネットによる情報配信がままならない状況下で、刻々と変化する情報を難民が理解できる言語で提供し続けることは、至難の業です。健康管理、保護施設、緊急処置に関わる施設情報、家族や母国の状況、各国の難民受け入れ状況、難民申請手続き、移動手段と費用……。例にあげただけでも、難民が必要とする情報が多いことがわかります。危機的状況下において翻訳者は、コミュニケーションの支援のみならず、最新情報の入手と提供にも対応する必要があるのです。
英語のみの情報提供では、それを必要とするすべての人に届けることはできません。言語が理解できなかったために医療処置を受けられなかったり、避難できなかったりして命を落とす人も存在します。それを防ぐべく、TWSの翻訳者たちは今日も、世界各地で活動しています。
2017年5月、国連総会会議にて「国どうしを結び、平和と理解、発展をはぐくむうえで専門の翻訳者が果たす役割」を重視する決議が採択され、9月30日が「国際翻訳デー(International Translation Day)」と公式に認定されました。翻訳という、表舞台では注目されづらい役割。しかしその必要性は誰もが認めるところです。世界で活躍する翻訳者に思いを馳せてみるのもよいのではないでしょうか。