最も翻訳が難しい研究領域とは?
医学や化学など自然科学、いわゆるサイエンスと呼ばれる分野の論文より、人類学や社会学など、人文・社会科学系学問の論文のほうが、翻訳や校正に時間がかかる傾向があります。これは、文章が端的で論点を1つひとつたどりやすいサイエンスの論文に比べ、人文・社会科学系論文は、文章が饒舌になりがちなことに起因するともいえます。
また、文学作品の翻訳などでは、英語力もさることながら日本語の読解力も求められます。余談ですが、以前、とある日本人有名作家の文学作品の英訳を依頼された訳者が日本人の友人に「どうしてもこの文の主語がわからない」と泣きついたことがありました。その訳者はプロの文学専門の翻訳家とはいえアメリカ人。文学作品が大好きでその作家の作品も多く読んでいた友人は、簡単に彼の “難題” を引き受けたのですが・・・。
わからなかったのです!
同じページに出てきている登場人物はたったの2人。しかし、どちらを主語にしてもなんだかシックリときません。そこで、その周辺で出てくる物が擬人化されているのではないかと、あれこれ2人で頭をひねりましたが、それでも納得できませんでした。
最終的には、彼らは著者に連絡を取り、数十ページ前に1回出てきた “主人公が夢に見た人” が主語になるのだと知らされ、謎を解決することができました。彼らは「そういわれれば、そうだよな」と納得し、また日本人の友人は、そこでその人物が回想されることで作品に深みがでてくるのだ、と素人ながらに感心したといいます。しかし同時に「すみません。この文の主語はなんですか?」と聞かなければならなかった翻訳者に対し本当に申し訳なく、「日本人失格といわれたような気持ちになったのを覚えている」といいます。
文の構造や論理の構造の違いもさることながら、人間の行動や文化を説明するくだりは、翻訳者として相当の技術と労力が求められます。そのため、文学のみならず、歴史学、芸術学、法学なども翻訳が難しい分野に含まれます。
そして「翻訳が最も難しい究極の領域は?」は聞かれれば、「専門分野に関わらず “冗談” が分析に含まれた論文だ」と答える翻訳者もいます。シェークスピアに関する研究論文であるにしろ、笑いに関する心理学の論文であるにしろ、文化と歴史と社会と言語のゴッタ煮である冗談は、最大の翻訳者泣かせなのです。