Brexit後、EUにおける英語はどうなる?
2016年は数々の衝撃ニュースがありましたが、中でも想定外と言われたのが米国大統領選挙におけるトランプ氏の勝利と、英国のEU離脱を問う国民投票の結果(Brexit)でした。もちろん2つとも国際政治的に大変なニュースですが、今回は言語の視点からこの2つに焦点を当ててみたいと思います。
EUの”United in Diversity(多様性の中の統合)”における言語政策と英語
欧州連合(EU)は1992年に、欧州各国の地域統合を実現するために”United in Diversity(多様性の中の統合)”を掲げて発足し、加盟国内のヒト・モノ・カネの自由な移動を実現しました。通貨統合が合意されたことにより、自国通貨からユーロに切り替えた国も多数あります。
一方で言語については、加盟国間の平等の精神とオリジナル言語を尊重するという多言語主義に基づき、言語の多様性が保持されています。言語は文化遺産であるという見解のもと、「EU加盟国の公用語がすべてEU諸機関の公用語」とすることができるのです。そのため、加盟国が増えるたびにEUの「公用語」は増え、今では24カ国語が公用語として採用されています。
公用語数(24)が加盟国数(28)と異なるのは、複数の国が同じ言語を公用語としている場合があるからですが、いかに欧州の言語が多様であるかを示しています。EUの公式文書はすべての公用語(24言語!)で作成されることが規定されており、公式文書の翻訳に4300名の翻訳者が雇用されています(ちなみに通訳者数は800名)。基本的に単一言語で日常生活を送る日本人には想像を超えた世界です。
さて、ここで問題です。現EU加盟国28カ国の中で、英語を公用語として申請した国は何カ国あるでしょうか?
答えは、驚くことに英国だけです。英語を公用語とするマルタ共和国とアイルランドは、それぞれもうひとつの公用語であるマルタ語とゲール語を指定しており、英語は世界のネイティブ言語としては第3位を占める言語であるにもかかわらず、 EU で想定外の立場に置かれているのです。
EUの幹部は、Brexitが実現すれば、英語はEUの公用語ではなくなる可能性があるとの見解を示しています。加盟国が指定できる言語は1つずつである以上、英語を申告している英国がEUから抜けると、英語も抜けることになるということです。英語の使用を中止することは現実的には困難だと思われますが、英語がEUの公用語であり続けるためには全加盟国の同意が必要とされます。英語はEUの公用語として終焉を迎えるのでしょうか?
英語の使用は止められないか
世界中でおよそ36億人が話す英語は、ネイティブ言語としては第3位の位置を占めます。しかし一般の感覚とは異なり、欧州委員会が2012年6月に刊行した報告書「Europeans and their Languages, 2012」によると、EU市民のうちのたった13%しか英語を母国語としていません。このうちの多数は明らかに英国内の住民です。英国外、例えばマルタ人やアイルランド人にも英語を第1言語として話すバイリンガルはある程度いるでしょうし、他の国でも同様かと思われますが、英語ネイティブの割合は決して大きいとは言えません。そのような状況下、英語がEUの公用語であり続ける必要があると、全加盟国が同意するのでしょうか。Brexitに伴い英語ネイティブの多くが抜けようとしている状況で、13%の何割がEUに残るのでしょう?
とはいえ、母国語以外の言語として使われている割合では英語が最も高く38%となっています。英語を公用語としない25の加盟国中19カ国において広く使われており、EU市民の54%が母国語以外で会話できる言語として英語を挙げています。さらに、英語には他の言語と違い、国際ビジネスにおける「公用語」となっているという有用性があります。
外交においても、外交官が2人で会う場合、使われるのはほぼ間違いなく英語でしょう。英語が「国際言語」として話されている理由には、英語の成り立ちに由来する親近感(ルーツを共有する他の言語との類似性)と習得の容易さ(同じルーツをもつ言語を母国語とする人にとっての習得しやすさ)、世界史における英国の植民地政策による関与、第二次世界大戦後の国際経済、映画、ファッションなどでの米国の影響などが挙げられます。いずれにしても、英語が世界に広がっており、国際的なコミュニケーションの場では欠かせない言語となっているのは事実です。たとえEUの公用語から英語が「離脱」したとしても、英語が使われなくなると考えることは非現実的です。
58カ国と21の地域で英語を公用語として利用していると示す2014年時点のある調査もあり、これらの状況を鑑みれば、EUの公用語から英語が抜ける可能性を示唆されているのは皮肉な話です。
これからの英語と米語
冒頭にあげた衝撃的なニュースの2つの当事国は、両国とも世界の言語地図では優位に立ってきました。英語と米語の違いはあれど、概ね世界で通用する言語を母国語とし、政治・経済・文化の面でその存在をアピールしてきた国です。
しかし、今や英国は共同体からの離脱を宣言しつつ国内は大荒れ、米国も新大統領の政権下で平穏とは言いがたい状況に置かれています。国と同様、「英語」も変容が避けられなくなっています。英米両国において、移民の増加や国際的な英語の普及に伴い、さまざまな非母語話者の影響を受けているためです。EUの公用語からの「離脱」を免れても、英国で一般に使われている「英語」と「EU英語」に変化が出てくるかもしれません。英語と米語で単語の意味が若干異なるように、微妙に異なる複数の類義語の間で意味の変容が起こる可能性もあります。例えば、EUで”establish”という単語は「文書を作成する・下書きする(draw up or draft)」と言う意味で使用されていますが、ネイティブ英語圏内では「設立する・何かを見い出す(set up or found something)」の意でしか用いられません。
言語は生き物です。”Brexit(Britainとexitを組み合わせた表現)”のような造語が生まれることもあれば、”Alternative facts(代替的真実、トランプ米大統領上級顧問が発した表現)”のように想像を超えた言意が飛び出すこともあります。世界の動きとともに、言語がどのように変わっていくのか・・・言語史的に見れば、なかなか面白い時代なのかもしれません。
参考報道:
EU may drop English as official tongue (p. 7) 英語も欧州連合の公用語から離脱か 2016/7/15 Japan Times