「さすが、プロ!」と賞賛された名翻訳

映画の翻訳は、意味が通じるように訳すだけでは不十分です。字幕の場合にはひと目見ただけで、吹き替えの場合でも一瞬聞いただけで理解できるよう、短く簡潔に訳さなければなりません。とくに題名は、短く簡潔に訳すだけではなく、一度聞いたら忘れられないようなインパクトと、その映画の内容が想像できるような情報を含まなくてはいけません。そこで翻訳者の本領発揮となるわけです。

ここでドイツ映画『嘆きの天使』(ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督、1930年)について考えてみましょう。ドイツ語の原題は『Der blaue Engel』、英題は『Blue Angel』 です。原題も英題も、直訳すれば「青い天使」となります。天使と言えば、通常、絹のようにやわらかそうな白い服を着た金髪の少年を思い出すので、「青い天使」と直訳してしまえば、「青い服を着た天使? それとも、気分が悪くて蒼白になっている天使?」などと疑問に思う人もいることでしょう。また、短く簡潔に訳されているとはいえ、まったくどんな映画なのか示唆されておらず、仮に映画を見た後でも、「なんで“青い”のだろう?」と納得しない人もいることでしょう。

英語の「blue」には青色という意味以外に「憂鬱な」とか「陰気な」という意味があります。では、『憂鬱な天使』や『陰気な天使』ではどうでしょうか? どんな映画を想像しますか? 天国にたくさん天使がいて、その中でとくに根暗な主人公の天使がどのような日々を送っているかという映画のような気がしませんか? すごく真面目な映画かもしれないし、コメディかもしれない。そんな疑問が心をよぎります。

ハインリヒ・マン原作の小説『ウンラート教授』の映画化である『Blue Angel』は、聖職者にでもなれそうなほどに謹厳実直で生真面目な英語教授の主人公が、いかがわしい誘惑の世界を垣間見て……というお話です。そこで天使が憂鬱になったり陰気になったりするのは、青くなったりする天使よりはましとは言え、あまりシックリきません。『青い天使』などと訳しても、行間が上手に訳されていないことになります。

日本で1931年にこの映画が公開された時の邦題は、前述のように『嘆きの天使』でした。「嘆きの天使」と聞くと、天使が主人公の行為を批判して憂鬱になっているというより、主人公の魂の行く末を案じ、遠くから心配をしている姿が思い浮かびませんか?  このような翻訳は、単に言葉を訳すのではなく、言葉が言わんとしているメッセージを訳すことを心がけた名訳といえます。

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